昭和五十年十月二十二日 御理解 第二十五節「信心は大きな信心がよい迷い信心ではいかぬ、一心と定めい」
大きな信心と言う事をいろいろ頂きます、結局信心によって心が豊かに大きくなる事と思うです、大きな事を願う事でなくて大きな事が願えれる様になる稽古、それもその祈っておる願っておる心の状態を確かなものに、方向を見極めてから信心を進めて行く、大きな信心はだから大きな心になる心だと、言う事が言えます、勿論だから大きな心が伴って来る訳です、そう言う信心をお互い稽古させて頂きながら、たったこれ位なことが気になったりこれ位なことが腹がたったり、こんな小さい事で自分がくよくよしている自分を見極めた時に、ああこれは大きな信心どころではないなあ、私の信心はとまず見極めなければいけない。
たったこれ位こんな小さい事で自分の心が促はれて、悔やんでおったり腹がたったり、みんな心が小さい証拠だ、だからそう言うものか段々自分の心からそれて行く、そして自分の心が豊かでおれる、まあ言うならどのような事が起きても驚いてならぬと仰るが、驚かんですむ様な心の状態を広げて行く稽古だと段々だから大きくなって行くです。
本当に信心の稽古をさせて頂く事はそう言う自分の心に、愈々取り組ませて頂くと言う事が有難いぞ。
昨日は私共小学校の同総会がございました、丁度小学校を出まして丸五十年になります、私は昨日本当に驚きましたけれども、十何年か前に一度あった時皆がこうみすぼらしく見えた、まあ本当に助かってないなと言う風に、見えたんですけれども昨日は皆が幸せそうに見えたんです、もう丁度三十名もうほとんど集まりました、勿論亡くなった方もいくらもあります、病気で来れなかった者もありますがもうほとんどあつまってお互い無事をよろこびあった事でございますけれども、本当にあの十何年前に助かってない人間の集まりの様な感じだった。
しかし反対に皆が幸せそうに助かっておると言う感じにみえた、私はそう言う中にそれこそ自分の心を思うて見たんですけれども、十何年の間に皆友達が幸せになったと言う訳じゃないだろうけれども、自分の心の状態がそれだけおかげを受けておるんだと言う風に気が付きました。そこで私は今日は二十五節を頂いてその事を思うのですけれども、小さな心と言うものは人が幸せ相にしておると、ケチをつけたい様な心があったりね、ライバル意識が出たり、素直に喜べない、人が幸せになっておると言う事は、そう言うような事などはもうとりわけ私は小さい心で貧しい心だと思います、だからその小さい貧しい心が大きな豊かな心になって行く稽古をさせて頂く事でありますから、人の幸せが喜べれる様な心でなからねばならない。
私は今日は大きな信心と言うのは結局大きな心豊かな心その上美しい心を目指して貰う信心、信心とはお道の信心とはだからそう言う心に取り組んで、愈々豊かな大きな美しい心にならせて頂く事がお道の信心だと一心に極めなければいけない、それに極めこんでおかねばいけない、してみると自分の心の中に貧しい心、汚い心小さいこころが、時々自分の心の中にそれをああ自分は貧しい心だなとか、小さい心だなと気がつかせて貰いますから そう言う小さい心を、に取り組んで言わばそれが大きく育って行く、稽古をせんならんと言う事にお道の信心は極まったんだと言う事をです、ひとつ私共は一心に定めておかねばなりません。
けっきょく大きなおかげを頂きたいのですから、大きな心でない小さな心を一つ大きくして行く稽古です、そこで私はなんと言って一番その大きな心のめざしと言うか、目当てとも言うものは、どこに置かねばならんかと言うと、天地日月の心だと思います、天地日月の心ほど大きくて豊かで美しく我慢強いと言う心はないと思うです、ですから天地日月の心になること肝要と仰られる心がよくわかります、お道の信心は天地日月の心になることが肝要です。
天地ほどに大きな心を目指して貰う、豊かなこころを目指して貰うと言うこと、そう言う稽古をさせて頂いておる私はこんな小さいことでくよくよしておったり、こんな小さい事がと自分に気ずかせて頂くところからです、やはり改まりの信心やっぱり稽古をしなければいけません、限り無く美しくならせて貰うと言う稽古、言うならば辛抱力を作らせて貰って、受けて受けて受けぬかせて頂く稽古をさせて貰わなければならない、それでいて正確な信心を目指してもらわなければならない。
私は昨日同窓会にやらしてもろうて、十何年前に会った友達実感とでも申しましょうか、そりゃ懐かしいそう言う事は変わらないけれども私の心の中にフッと感じさせて頂いた事がです、又実感した事がです皆が非常に幸せそうに見えたと言う事、それを喜べれると言う事、十何年間これ位自分の心も育ったなと自分でも思わせて頂いた、ですから、よりもっともっと豊かな大きな心、言うなら大きな信心を目指さなければいけない、それには一心と定めると言うことが大事。だから金光様の信心とはその大きな心とは、反対の小さな心だな汚い心だなと思う、その心を愈々改めて行く稽古、そこには辛抱もいる所謂天地日月の心になる、そう言う神様の心を心として自分の心のなかに頂いて行くのが、お道の信心だと心の中に一心定めなければいけない、金光様の信心とはこれに極まった。
そう私は極め込んで日々様々に起きて来る、その問題と言うか総べてのことに私どもが、どうそれが感じ取れるか受け取れるか、豊かな大きな心でそれが見たり、聞こえて来ると言う、おかげを頂かして貰いたい。
大きな信心とは大きな事を只願うと言う様なことではなくて、自分の中にこんない小さな心がある、こんな汚い心があるね、たったこの位の事で動揺しておる心がある、そう言う心をまずわからして貰って、そう言う心を安心の喜びの豊かな心にならせて頂けれる、稽古を本気でする、それをなら今日はとにかく天地日月の心になると言う、これ程大きな信心はなかろうそう言う大きな信心を目指して、一年一年有難くなって行く一年一年大きく豊かになって行く。
十何年振りに同じ事柄に出逢って、何十年前に感じた心と何十年後に感じた心とを思い比べて見て、ああやっぱり稽古をさせて頂いとるんだなあ、これだけ豊かに大きくなったんだなと、思わせて貰わせて貰う、本当に有難いです信心ちゃいよいよ有難いものになってくる、十年後もまたは十年後の今日も同じ様な心の状態では、おかげも勿論育たない事は分かります、というても一つ大きな信心をさして貰う、愈々大きな心にならせて貰う稽古をさせて貰わねばいけません。どうぞ。